僕のプロレス・ノート 第三回 天馬のはばたきは、かたられることなく……。

最近、TSUTAYAのお取り寄せレンタルで、少し前のWWEのDVDを立て続けに借りました。
ジェリコ、エディ、nWo、インターコンチ、ECWアンリリースド…。

本来であれば、その功績から、絶対的にそこにいるはずだったレスラーのことが、本当にいなかったかのように、語られることなく、ただ、その空白を埋めるように、別の誰かの試合が流されていました。

もし、生きていたなら、もし、事件を起こさなかったら、今、どんな風に語り継がれていたのか…。

カルガリーマットは、新日本プロレスとの結び付きが強く、若手のレスラーがいったり来たりする関係だった。
彼が日本に来たのは、カルガリーでデビューして間も無くのこと。
爆弾小僧に憧れた彼は、新日本の道場で、当時、最高峰と呼ばれた超一流のプロレスを学ぶ機会に恵まれた。
闘魂三銃士より、ちょっと後輩で、同期には、巨漢のダリル・ピーターソンや後に三人目のデモリッションになるブライアン・アダムスがいる。
日本流のプロレスを学んだ彼は、一度、カルガリーに帰国し、プロモーターの意向で、ダイナマイトをリングネームにしたが、あまりにも、恐れ多く、さっさと本名に戻し、再び経験を積んだ。

新日本に再来日したとき、彼は、ペガサス・キッドのマスクをかぶり、タッグリーグに参加。
パートナーのチータ・キッドは、後に、ECWでブレイクするパブリック・エネミーのどっちか。
(続く)

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